HIMESALONでもブログをやっている
HIME CAFEでもブログやっている
http://toushitsu-seigen-cafe.com
けど
ここは「渕辺和歌子」として書いていくことにしました。
「私はきれいになってHIMESALON開業する」
古い団地で1歳の娘を抱えた母子家庭の母をしてた頃にいきなり決めた。
笑えるぐらいめっちゃ貧乏。お肌ボロボロ。
あるのは根拠のない自信のみ(笑)
自分でいうのもなんやけどなかなかクレイジーやわ。
サロンオープンする6年前今の会社を明確にイメージしてニヤニヤしていた。会社もないくせに会社ロゴを作成していた。
こうなってこうなってこうなっていく♡ニヤニヤ
気持ち悪いやろ。
色々あったけど予定通り2009年5月8日母の誕生日の日にHIMESALONをオープン。そして今年「こころの学校」を開講することも全て計画通り。きっとこの後のビジョンも未来の自分が全て達成しているはず。気持ち悪いけどイメージしてニヤニヤするのが好きやねん。
最初にいっておくけど、私は優れた才能があるわけでもお金持ちのお嬢様でもない。
お金ないー。学歴ないー。根拠のない自信あるー。愛あるー。って感じよ。
<私の生い立ち>
私は1975年9月25日生父(じょうぶちゃん♡)母(とっちゃん♡)の次女として生まれる。5つ上の兄ゆうくん2つ上の姉みさちゃん3人兄弟の末っ子。
父はまじめなサラリーマン。母は昔から持病があり身体が弱く病気がちだった。
お家では一緒にテレビの前に座って仲良しにもほどがあるぐらい仲良し。父はいつも母の味方だった。「お母さんと子供が同時に溺れたら間違いなくお母さん助ける」って笑って言ってた。母は「お父さん優しいからお母さん幸せやわ」って私たち子供だけでなく近所にもいいふらしてた。私はそんな両親が大好き。私達兄弟は「勉強しなさい」といわれた事がなく天真爛漫に自由に過ごすことが多かった。
兄は幼い頃からやんちゃ坊主で姉と私にちょっかいかけては泣かしてた。いわゆる「ジャイアン」である。当時北斗の拳が大流行!何度も「アタタタタタぁー!お前はもう死んでいる」ってコテンパにされた。階段から突き落とされたり、ファミコンで負けるとすこぶる機嫌がわるくなるので、わざと負けて悔しがる術も幼い頃に覚えた。おやつは3人で一袋と決まっていたので兄がほぼ全部食べてしまうから家でおやつ食べれた記憶がない。姉はいつも私の憧れで可愛くて優しかった。いつもいやいやながら(笑)一緒に習い事に連れていってくれたり、友達のお家に連れて行ってくれた。おませな姉からお風呂で恋愛のABCを教わった時は衝撃だった。そんなおませな姉の影響か私は幼いころからおしゃれが大好きだった。小学生から三つ編みも自分でできてたし着せ替え人形で服を何回も着せ替えしたりメイクの真似事したりままごとして遊ぶのが大好きだった。
↑ゆうくんとチラシを大切そうに持つみさちゃん♡
なっ。お姉ちゃん可愛くて、私「ジャイコ」やでーっていうたやん(笑)
つづく♡